お釈迦様は人は皆平等ということを強く思い、身分に関係なく皆同じように生・老・病・死を抱えていることについて深く考えました。
そして諸行無常という常に物事は移り変わるという考え方を説き、また危機に陥った時は自分自身とお釈迦様の教えを頼りにすることという自洲法洲(じすほっす)を説いています。
①【お釈迦様のお言葉】人は平等
お釈迦様は長い旅の途中で、アンバパーリーという以前からお釈迦様の在家信者という上流庶民の遊女である女の人に出会います。
お釈迦様はアンバパーリーの土地のマンゴー林で一休みしている時、それを知ったアンバパーリーがすぐにやって来てお釈迦様に次の日の食事に自分の所へ来て欲しいと、お釈迦様と修行僧達を明日の食事に招待します。
お釈迦様は快くアンバパーリーの所へ食事に行くことを約束しました。
ところがその後その町の王族の若者達が来て、お釈迦様に次の日の食事への招待をするのです。
ここでお釈迦様は先に約束したアンバパーリーとの食事の約束を優先し、王族の若者達の食事の誘いはあっさりと断わりました。
インド社会は身分の上下の差が激しい社会です。アンバパーリーと王族の若者達を比べた場合、王族の身分の方が圧倒的に上です。
単純に考えても食べれる料理を想像しても、王族の料理の方が高級な食事を食べれることは間違いないところですが、お釈迦様はそういうことは問題にしませんでした。
そして約束通り次の日お釈迦様と修行僧達は、アンバパーリーが作ってくれた料理をおいしくお食べになりました。
アンバパーリーはとても喜び、マンゴー林をお釈迦様の修行僧達一行にお布施として寄付したのです。このことからお釈迦様がアンバパーリーを大切にしてくれたということが、アンバパーリーにとっていかに大きな喜びだったか分かります。
お釈迦様にしてみたらそれは当たり前のことをしたまででです。
アンバパーリーにとってマンゴー林は大切な財産だったはずなのに、それをお布施として手放したのです。その後アンバパーリーは出家して尼僧(にそう)になり悟りを開くまでになりました。
普通ならアンバパーリーと王族の若者達のどちらを優先するでしょうか。普通なら王族と庶民という地位に目がいき王族に失礼の無いようにと、また王族に気に入られたいと思い王族の食事の誘いを受けると思います。
しかしお釈迦様にはアンバパーリーがお釈迦様に食事をごちそうしたいという好意は十分に伝わり、先に約束したアンバパーリーのことを大切に思ったのです。
お釈迦様は迷うことなく当然にアンバパーリーのことを大切にしました。
お釈迦様が人は身分にとらわれずに平等という考え方を身を持って示した出来事です。
お釈迦様は29歳のとき出家した理由が人間には生・老・病・死が平等につきまとい、バラモン教から離れて身分にとらわれずにそれを見つめてみたいと思ったのです。
そしてその時にお釈迦様が思った人は皆平等という考え方・思想は、ぶれることなく生涯変わらないものでした。
②【お釈迦様のお言葉】諸行無常
お釈迦様の象徴のお言葉は何といっても諸行無常です。
なぜかこの言葉を聞くとほっとします。世の中のニュースがまさに猛スピードの諸行無常だと思います。
午前中のトレンドは午後にはもう過去の事になっていることも珍しくなく、一週間前のことはもう大昔のことのように思えたりします。
ですから逆に大丈夫大丈夫と心強く思ったり、巡り巡って色々なことが起こる中で色々なことが分かってくることも多いものです。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。」という平家物語(作者不詳)の冒頭の文章はお釈迦様への思いが詰まっていてお釈迦様そのものを表しています。
平家物語であるので平家の始まりと終わりを示していますが、物事は常に移り変わり、勢いがあるものもいずれは衰えていくものであることを示すと思うと寂しさが漂います。
しかしお釈迦様がお亡くなりになる時は沙羅の花は咲き誇り、お釈迦様自体が金色に輝きとても華やかだったのです。お釈迦様は寂しくこの世を去ったのではなく、光り輝きながらこの世を去ったのです。
沙羅の花が例えになっていますが、生・老・病・死は生命あるものには誰にでも平等につきまとい、平等に訪れるものであることを示しています。
お釈迦様はシャーカー族の王家に生まれた王子であることを偉ぶったり庶民を見下したりすることはなく、自分達ばかりが宮殿で優雅な恵まれた生活をすることに満たされない何かがあり、いくら優雅でも幸せではなかったのです。
お釈迦様の心は人々は皆平等という考えからくる慈悲(他のものをいつくしみ楽を与え苦難を取り除くこと)の心でいっぱいでした。
この場合の苦難とはストレスのことで、人を潰してしまうようなストレスからは解放させるべきということです。前向きに何かに向かっていて苦しい時の苦難は努力の最中であって、取り除かれるべきストレスとは違います。
③【お釈迦様のお言葉】自洲法洲(じすほっす)
お釈迦様は80歳の時、豚肉の料理が出されたのを食べてお腹をこわし食中毒でお亡くなりになりました。
お釈迦様は生前に、供養とは花を飾ったり音楽を流したりするものではなく、不摂生(健康に気をつけないこと)することなく、また人への慈悲の心を忘れることなく、正しく生きることが供養なのだと言っています。
大切なものは「正しく生きる」ことで、物体のようには目に見えないということです。
そしてお釈迦様は、お釈迦様とお釈迦様から多くのことを学んだ自分自身を拠り所として生きて行くことを弟子達に諭しました。
これは自洲法洲(じすほっす)と言われ、例えれば自分が洪水の川で溺れそうになっている時、川の中の島である中州(なかす)につかまれば助かることができるというもので、その助かるための島とは自分自身とこれまでのお釈迦様からの教えだといいます。
自洲法洲(じすほっす)とは自灯明法灯明(じとうみょうほうとうみょう)ともいいます。「自」が自分のことで「法」がお釈迦様のことをいうのです。
④【お釈迦様のお言葉】まとめ
お釈迦様に寿命がきてお亡くなりになる時、お釈迦様はひっそりとしぼんでいくのではなく光り輝き、周囲の沙羅(さら)の花も咲き誇っていたということが、お釈迦様の生きてきた思いやりに溢れた人生を讃えた現象だと思います。
お釈迦様が入滅してからすでに2300年以上経っていますが、お釈迦様の存在が人々の中から消えることは永遠に無いのです。
お釈迦様のお言葉である、人は平等、諸行無常、自洲法洲(じすほっす)を常に意識して日々過ごしていこうと思います。