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目連 (もくれん / モッガラーナ) お釈迦様の弟子

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お釈迦様

目連 (もくれん / モッガラーナ)は舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)と二人でお釈迦様の二大高弟で、44年間二人でお釈迦様の力になっていました。

目連 (もくれん / モッガラーナ)は超能力があり「神通第一」と呼ばれ、超人的に物事を見抜ける力を持っていました。

目連 (もくれん / モッガラーナ)はお釈迦様一行を異教徒から守る役目をしていた結果、街で異教徒達に殺されるという悲惨な最期を遂げました。

①【目連 (もくれん / モッガラーナ) お釈迦様の弟子】舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)と幼馴染で大親友 

目連(もくれん/モッガラーナ)は舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)と幼馴染でお互いのことをよく知りとても仲良しでした。

目連(もくれん/モッガラーナ)と舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)は一番先にお釈迦様の弟子になったお釈迦様の二大高弟であり、二人とも44年間お釈迦様のもとで信仰を続け、80歳近くでほぼ同じ頃お釈迦様より先にお亡くなりになりました。

目連(もくれん/モッガラーナ)は目犍連(もくけんれん)とも呼ばれます。

お釈迦様の十大弟子の中で、一番弟子は「智慧第一」といわれる舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)であり、目連(もくれん/モッガラーナ)はもう一人のお釈迦様の高弟(こうてい)であり「神通第一」と呼ばれます。

神通(じんずう じんつう)とは、超人的な計り知れない物事を見抜ける不思議な力のことです。

目連 (もくれん/モッガラーナ)は舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)の隣街で生まれました。

目連(もくれん/モッガラーナ)の家も舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)の家と同じようにバラモン教を信仰していて、父は王家に学問で仕えとても裕福でした。

目連(もくれん/モッガラーナ)の家は立派な御殿で、目連(もくれん/モッガラーナ)は一人っ子で背が高くいつも元気いっぱいでした。

目連(もくれん/モッガラーナ)は舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)とお祭りに行き、人々が狂ったように歌い踊るのを見ていて二人で無常を感じ、お祭りから逃れて二人で出家を決めました。

そして二人でバラモン教に対する新興宗教のサンジャヤの弟子になりましたが、サンジャヤの教えの全てを二人とも7日間で理解し、舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)がサンジャヤの信仰では納得できないと言います。

舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)は街で出会ったお釈迦様の沙門(しゃもん/修行者)の比丘(びく/出家し守るべき戒である具足戒を受けた男子)に教えの内容を聞いたところ、因縁にまつわる縁起の話を聞き共感します。

舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)はさっそく目連(もくれん/モッガラーナ)に、いい説法をするお釈迦様の一行がいることの話をします。

目連(もくれん/モッガラーナ)は舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)から話を聞き二人でお釈迦様の教えに共感し、二人で竹林精舎のお釈迦様を訪ね、二人でお釈迦様の弟子になりました。

そして舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)がわずか15日で阿羅漢(あらかん/修行僧の中の最高位で仏陀の次に悟った者)になり、続いて目連(もくれん/モッガラーナ)は30日で阿羅漢(あらかん)になりました。

二人はお釈迦様の信仰に対してやる気でいっぱいでした。

②【目連 (もくれん / モッガラーナ) お釈迦様の弟子】「神通第一」亡くなった母は餓鬼道にいた「お盆」の始まり

目連(もくれん/モッガラーナ)にまつわるお盆に関する言い伝えがあります。

実話ではなく、神通第一と言われた目連(もくれん/モッガラーナ)の神通力の例え話です。

目連(もくれん/モッガラーナ)は亡くなったお母さんを探したところ、何とお母さんは来世で餓鬼道(がきどう)で瘦せ細り苦しんでいるのです。

目連(もくれん/モッガラーナ)がご飯をお母さんに食べさせようとすると、ご飯は火に変わってしまうのです。

そのため目連(もくれん/モッガラーナ)はお釈迦様にそのことを伝えました。

お釈迦様は目連(もくれん/モッガラーナ)のお母さんは根深い悪い因縁で苦しんでいるので、七月十五日(今では八月十五日)に僧侶達一同の自恣(じし)の儀式のときにいろいろな食べ物を僧侶達のために供養するといいことを話しました。

自恣(じし)とは夏安吾(げあんご)の終わりの僧侶達の報告反省会のことです。

夏安吾(げあんご)とは、インドでお釈迦様の時代から僧侶達が4月16日から7月15日まで、外で虫や草の芽を踏み潰さないように行脚托鉢をやめて寺院の中で修行するようになりその修行のことをいいます。

目連(もくれん/モッガラーナ)がお釈迦様に言われた通りにしたところ目連(もくれん/モッガラーナ)のお母さんは天道に生まれ変わることができました。

この時の儀式を「盂蘭盆会(うらぼんえ)」といい「お盆」の元になりました。

盂蘭盆会(うらぼんえ)は旧暦の7月15日前後の7月13日から7月16日に行われる祖先の冥福を祈る仏事のことで、今では「お盆」として新暦の8月15日頃の3~4日間に行われています。

③【目連 (もくれん / モッガラーナ) お釈迦様の弟子】異教徒達に殺された

目連(もくれん/モッガラーナ)は鋭い顔つきの人相をしていて、健康で腕の血管は隆々と力強く浮き出ていました。

目連(もくれん/モッガラーナ)はお釈迦様の説法を妨害しにくる異教徒達を追い払う役目をしていて、異教徒達にはひどく嫌われていました。

そのため目連(もくれん/モッガラーナ)は異教徒達に街で襲われるはめになってしまいました。

異教徒達は石を武器に持ち目連(もくれん/モッガラーナ)を叩き殴り、目連(もくれん/モッガラーナ)は血まみれになり、体はずたずたにされ殺されてしまいました。

目連(もくれん/モッガラーナ)の最期を見届けたのは舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)です。

変わり果てた目連(もくれん/モッガラーナ)の悲惨な姿を見た舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)の気持ちはこの世の果てのようでした。

このあとしばらくすると舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)はお釈迦様の死期が近づいたことを感じ取ります。

そして舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)は病気にかかっていたため故郷に帰り、母のいる生まれ故郷の家でお釈迦様より先にお亡くなりになりました。

④【目連 (もくれん / モッガラーナ) お釈迦様の弟子】まとめ

目連(もくれん/モッガラーナ)は舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)と二人で共に44年間をお釈迦様のもとでお過ごしになりました。

目連(もくれん/モッガラーナ)と舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)は幼馴染であったことから人生の殆どの時間を共に歩んできました。

舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)の一生で一番悲しい出来事は無二の親友である目連(もくれん/モッガラーナ)の死です。

しかも目連(もくれん/モッガラーナ)の亡くなり方が異教徒達に石で叩き殺されたものなので、遺された舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)が病気で亡くなるまでの時間は悲しい時間だったに違いないのです。

目連(もくれん/モッガラーナ)と舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)という頼もしい二人の高弟を失ったお釈迦様の悲しみはとても大きく、お釈迦様はその大きな悲しみを克服していかなければなりませんでした。

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