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舎利弗 (しゃりほつ / サーリプッタ) お釈迦様の弟子

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お釈迦様

サーリプッタ(舎利弗 しゃりほつ)は小さい頃から勉強家で優秀であり、幼馴染の目連(もくれん/モッガラーナ)と共にお釈迦様の弟子になり、二人はお釈迦様の十大弟子の中の二大弟子でした。

特に舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)はお釈迦様の信頼が厚くお釈迦様の一番弟子でした。

舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)はとても頭が良く智慧第一と呼ばれました。

①【舎利弗 (しゃりほつ / サーリプッタ) お釈迦様の弟子】目連(もくれん/モッガラーナ)と共にお釈迦様の弟子になった

舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)はお釈迦様の十大弟子の一人で、十大弟子の中でも一番最初に名前があがる優秀な弟子で「舎利子(しゃりし)」とも呼ばれます。

舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)は理解力にたけていてお釈迦様に信頼され「智慧第一(ちえだいいち)」と呼ばれ天才と言われた一番弟子です。

智慧とは知恵のことです。

舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)は同じくお釈迦様の十大弟子の一人である目連(もくれん/モッガラーナ)と親友で、お互いをよく知り分かりきっている仲の良さです。

二人は一番早くお釈迦様の弟子になり頼もしかったこともあり、十大弟子の中でも特に二大弟子と言われています。

舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)はバラモン教を信仰する教養のある父と、鷺(さぎ)のように美しい母との間に生まれました。

母の名前は鷺(さぎ)にちなんでサーリーといい、母サーリーの息子であるためプッタを付けサーリプッタとなり音写で舎利弗(しゃりほつ)となりました。

舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)は父の影響もあり子供の頃から勉学が好きでした。

隣街に住む目連(もくれん/モッガラーナ)と気が合い、二人でお祭りでのどんちゃん騒ぎを見ていたところ二人とも無常観に陥り、二人でお祭りを抜け出しこの時すでに二人で出家を決めました。

そして二人はバラモン教に対する新興宗教のサンジャヤの弟子になります。

しかしサンジャヤの教えを全てを二人は七日間で理解し、舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)は、サンジャヤでは納得できるものが無いと判断します。

そしてその後、舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)は清楚な風格のお釈迦様の修行僧に出会い、言葉は少ない中で因縁からくる縁起についての教えを聞き、二人で共感し二人で竹林精舎のお釈迦様の所へ行き二人でお釈迦様の弟子になりました。

そして舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)はわずか15日で阿羅漢(あらかん/修行僧の中の最高位で仏陀の次に悟った者)になり、目連(もくれん/モッガラーナ)は30日で阿羅漢(あらかん)になりました。

まさに二人共やる気になればこの世に不可能は無いことを身を持って教えてくれています。

②【舎利弗 (しゃりほつ / サーリプッタ) お釈迦様の弟子】目連(もくれん/モッガラーナ)が亡くなり悲しむ

目連(もくれん/モッガラーナ)は異教徒達がお釈迦様の説法の邪魔をしに来るので、異教徒達を追い払う役目をしていたところ目連(もくれん/モッガラーナ)は街で異教徒達に襲われ石などで殴り叩かれ血まみれになり体をズタズタにされて殺されてしまいました。

目連(もくれん/モッガラーナ)はお釈迦様達一行をいつも外敵から守っていて、そのため外敵からとても嫌われていたのです。

目連(もくれん/モッガラーナ)は神通第一と言われていました。

神通(じんずう じんつう)とは超人的な計り知れない不思議な力のことです。

目連(もくれん/モッガラーナ)がとんでもなく痛い思いをしてお亡くなりになったことを思うといたたまれません。

一人の男が何人もの男に襲われたら、たちまち殺されてしまいます。

舎利弗 (しゃりほつ/サーリプッタ)は目連(もくれん/モッガラーナ)の最期の姿を見届け悲しみに暮れました。

③【舎利弗 (しゃりほつ / サーリプッタ) お釈迦様の弟子】祇園精舎がお釈迦様の拠点になった

シュラーヴァスティー(サーヴァッティー/舎衛城 しゃえいじょう)という街に給孤独(ぎっこどく)長者というお金持ちの信者がいてお釈迦様の説法を聞いて感激し、自分の街シュラーヴァスティーにお釈迦様のための寺院である祇園精舎を建てお釈迦様の一行に寄進(寺社に寄付すること)しました。

給孤独(ぎっこどく)は常に孤独で貧しい者に食べ物を給していたので給孤独(ぎっこどく)と呼ばれましたが、本当の名は須達多(スダッタ)で須達多(スダッタ)長者という人です。

シュラーヴァスティーはお釈迦様の時代である古代インドの時代の強国コーサラ国の首都です。

お釈迦様達一行は祇園精舎にしばしば滞在しています。

祇園精舎の正確な名は祇樹給孤独園精舎(ぎじゅぎっこどくおんしょうじゃ)といいます。

赤い印の場所に祇園精舎がありました。現在は祇園精舎の跡地になっています

祇園精舎は現在のインド北部のウッタル・プラデーシュ州シュラーヴァスティー県にありました。

祇園精舎の建設中にバラモン教の異教徒達が妨害しに来ましたが、舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)が知恵を使いバラモン教の異教徒達を引き下がらせることができ、その結果祇園精舎が無事完成しお釈迦様の説法の活動の拠点となったのです。

異教徒達は恐ろしいのですが、引き下がらせることが出来たのは舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)の賢い知恵のお陰です。

舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)のお手柄で、有名な祇園精舎が出来上がったということです。

④【舎利弗 (しゃりほつ / サーリプッタ) お釈迦様の弟子】お釈迦様より先にお亡くなりになった

目連(もくれん/モッガラーナ)がお亡くなりになってからしばらくしてお釈迦様は体調を崩しお釈迦様自身が自分がお亡くなりになる予言をし弟子達は驚きます。

お釈迦様はお亡くなりになる前に会うべき人に会いたいと思われたようで、祇園精舎から他の場所へ行ったり来たりして人々に会って回りました。

この時です。

舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)は自分が涅槃(ねはん/死をあらわす)に入ることを思い立ったのです。

舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)は、昔から仏陀の高弟(こうてい)は仏陀よりも先に涅槃(ねはん)に入ることが常になっていることをお釈迦様に説明し、自分は涅槃(ねはん)に入る時が来たことをお釈迦様に告げました。

お釈迦様は舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)が涅槃(ねはん)に入ることを決めたことを止めはせず、どこで涅槃(ねはん)に入るのかをお聞きになりました。

舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)は故郷で母に会い生まれ育った自分の部屋で涅槃(ねはん)に入ることを話しました。

そして舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)は皆にお別れの挨拶(あいさつ)をし皆に見送られ、皆はとても寂しがり別れを惜しみました。

お釈迦様も舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)との別れの悲しみに耐えるしかありませんでした。

沙弥(しゃみ さみ/修行未熟な僧)の均頭(つあんだ)だけが最後まで付き添うことになり、故郷の家までお供します。

舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)は生まれ故郷に帰り100歳近い母は80歳近い息子の帰郷を喜びました。

舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)は病気にかかっていて疲れもひどく、掃除してもらった自分の部屋に入るとそれまで我慢していた咳をたて続けにし血を吐きました。

母には舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)が故郷に帰ってきたことの意味が分かり、舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)は母や身内に涅槃(ねはん)に入ることの説明をしました。

次の日の朝、舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)に会いに来た人と話をした後、舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)は病気の為に苦しみ涅槃(ねはん)に入られました。

このような状況で舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)はお釈迦様の入滅が近づくとお釈迦様よりも先に亡くなりたいと自ら願い、故郷に帰りお釈迦様より先にお亡くなりになったのです。

舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)のご遺体は死後七日後に荼毘(だび)にされ、均頭(つあんだ)が御遺骨をお釈迦様一行がいる竹林精舎に持ち帰りました。

目連(もくれん/モッガラーナ)と舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)という大切な二人の弟子を、自分が亡くなるよりも先に亡くしたお釈迦様の深い悲しみは言うまでもありません。

⑤【舎利弗 (しゃりほつ / サーリプッタ) お釈迦様の弟子】まとめ

舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)の人生での最大の悲しみは、一緒に出家した幼馴染の目連(もくれん/モッガラーナ)がバラモン教の異教徒達に殺されて悲惨な死を遂げたことで、舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)にとってこの世の果てのような出来事だったと思います。

目連(もくれん/モッガラーナ)の亡き後、舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)は生きている間の残されたわずかな日々、病をこらえながらずっと目連(もくれん/モッガラーナ)のことを思い続けたと思います。

舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)は目連(もくれん/モッガラーナ)と共に44年間にわたり、お釈迦様の力になりお釈迦様の両脇をがっちり固めている存在であったため、舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)と目連(もくれん/モッガラーナ)を亡くしたお釈迦様はとても寂しがられました。

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