お釈迦様の仏教は皆で幸せになるという思想

お釈迦様

お釈迦様の仏教の教えは皆で幸せになりましょうという教えで、自分さえよければいいという器の小さなものではありません。

仏教は様々な宗派に分かれますがその基本は、お釈迦様の説いた人は皆平等という考え方に基づく、人は避けて通れない生・老・病・死を抱えながらも人は皆幸せになる為に生きているという考え方です。

①【お釈迦様の仏教は皆で幸せになるという思想】お釈迦様は出家して仏になった・大乗仏教は在家で仏になれる

お釈迦様が開祖した仏教で、仏陀・仏というのはお釈迦様のことで、お釈迦様ただ一人です。

仏教で修業して悟りを開いたら、阿羅漢(あらかん)になります。

阿羅漢(あらかん)とは仏教において、悟りが最高の境地に入った尊敬に値する者のことです。

仏陀と阿羅漢(あらかん)とは言葉の意味では同じですが、仏教では先に悟った仏陀がいて、次に悟った者達が阿羅漢(あらかん)となります。

お釈迦様の入滅後は次の仏が現れるまで56憶7000万年かかるといわれ、弥勒菩薩が天界で仏になるための修行中で、お釈迦様はそれまでの間は地蔵菩薩に人々の見守りを任せていると言われています。

インドでお釈迦様によって生まれた仏教は、お釈迦様の本来の仏教と、お釈迦様の入滅後500年程してそこから枝分かれした大乗仏教の両方がシルクロードを通り中国に伝わり、馴染みやすい大乗仏教が中国で取り入れられ朝鮮半島を通り日本に伝わりました。

枝分かれした仏教には日本には日蓮宗を始め天台宗、真言宗、浄土宗、禅宗など多々あり、これら枝分かれした仏教は全て大乗仏教といいます。

大乗仏教は出家して修行しなくても在家信者として修行に励めば仏になれる、大乗仏教は悟りで上り詰めたならば仏になれるというもので、人々は大乗仏教に親しんでいきました。

元々のお釈迦様の仏教とは大きな違いがあり、だいぶ作り変えられています。

そのため日本の仏教は殆ど全部といっていいほどが大乗仏教で、大乗仏教の様々な宗派ではその宗派での仏様とされている像、例えば阿弥陀如来像などが本堂の中央に置かれています。

②【お釈迦様の仏教は皆で幸せになるという思想】小乗仏教は部派仏教のこと

お釈迦様の入滅後、お釈迦様が開祖した仏教の原型を保ったまま継承し民間から起こった部派仏教のことを小乗仏教(しょうじょうぶっきょう)といいます。

小乗仏教は大乗仏教から見たら小さい乗り物として軽んじられる意味があるので、小乗仏教とは言わず部派仏教と呼ぶ方が正しいのです。

小乗と言われる理由は出家した人は悟りを開くまでは自分の修行を第一と考え、悟りを開くまでは他人を救おうとしないといわれるためです。

小乗仏教という呼び方は、つまり出家して修行した人しか救われないという、小さい乗り物のような教えといわれることによります。

自分が悟りの考えに辿り着くまでは時間がかかるので、自分のことだけ考えることで終わってしまいます。

そして小乗仏教では阿羅漢(あらかん)になり六道輪廻の転生から離れると、涅槃(ねはん)に入り終わりがくるのです。

お釈迦様の説かれた仏教は自分さえよければいいという教えではなく、誰でも幸せになれるという教えです。

自分が幸せになると同時に他人も幸せになるという教えです。

自分に寿命がきて亡くなったら六道輪廻(ろくどうりんね)ではなく極楽浄土に生まれ、現世で苦しんでいる人に慈悲の目を向けることの教えがお釈迦様の仏教です。

お釈迦様は大乗仏教の理念を説いているのです。

③【お釈迦様の仏教は皆で幸せになるという思想】お釈迦様の思想は皆の幸せを願っている

お釈迦様が出家した理由はそもそも人々に平等な生・老・病・死について深く考え、人は何を求めて生きて行くのかを追求するための出家でした。

最初からお釈迦様には人は皆平等という思いが強く、自分さえよければいいと思うのであれば、何不自由ない王家の生活に満足していたと思います。

そして王子だったころ街の視察で老人や病人や死者を見てお釈迦様は心を痛め、慈悲の心で思い巡らし出家に至ったので、お釈迦様には自分さえよければいいという考えとは程遠い慈愛に満ちた心が最初から根付いていたのです。

そしてお釈迦様は修行を重ね、人は生・老・病・死を抱えながらも皆平等に幸せになる為に生きているという考えを確たるものにしたのです。

お釈迦様が教えを書き遺したものはありませんが、弟子達の結集でのお釈迦様の教えを示したものが後世に伝わったのです。

④【お釈迦様の仏教は皆で幸せになるという思想】まとめ

よく自分のためだけに働くのと、人を幸せにするために一生懸命働くのとでは結果に大きな違いが出るといわれます。

また自分さえよければという考えはそもそも失敗のもとです。

それは自分の生活をないがしろにしてまでも人を助けるという事ではなく、人の分まで欲張って自分のものにしたりという極端なことをしないようにという最低限の戒めでもあります。

人には不可能ということはなく可能性は誰でも無限にあるのです。

お釈迦様の教えは皆で幸せになりましょうという、人間愛に満ちた大きな教えです。

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