アーナンダ (阿難陀 / 阿難 アナン) お釈迦様の弟子

お釈迦様

アーナンダ(阿難陀/ 阿難 アナン)はお釈迦様の従兄弟で十大弟子の一人です。

アーナンダ(阿難 アナン)は優しくよく気が付くことから、お釈迦様の付き人としてお釈迦様が55歳からの25年間をお釈迦様にとって最も身近な存在として過ごしました。

そのためアーナンダ(阿難 アナン)は誰よりも多くの説法をお釈迦様から聞き、またお釈迦様との対話も数多く重ねてきました。

①【アーナンダ (阿難陀 / 阿難 アナン) お釈迦様の弟子】お釈迦様の付き人

アーナンダ(阿難陀 あなんだ / 阿難 あなん)はお釈迦様の従兄弟(いとこ)にあたる弟子で、お釈迦様の十大弟子の一人で年齢はお釈迦様より30歳ほど若いといいます。

お釈迦様の父であるシャーキャ族の国カピラヴァストウの国王シュッドナータには三人の弟がいて、弟達には二人または三人の男児がいました。

そしてその従兄弟達の中でも仲のいい七人がいて、アーナンダ(阿難 アナン)はその気の合う七人組のうちの一人です。

お釈迦様は出家してから10年後に生まれ故郷のカピラ城に帰ってきました。

そのとき皆でお釈迦様に共鳴し、アヌルッダというお釈迦様の従兄弟がいて、アヌルッダが先頭に立ちアーナンダ(阿難 アナン)も加わり他にも仲間を連れ全員で七人でお釈迦様のところへ行き、七人で一緒に出家しました。

アーナンダ(阿難 アナン)はとても優しい人柄で気配りがよくできたためお釈迦様に気に入られ、お釈迦様が55歳の時からお亡くなりになるま25年間にわたりお釈迦様の付き人になっています。

アーナンダ(阿難 アナン)は人生で一番活動的で一番充実していたい貴重な年月をお釈迦様と一緒に過ごしたのです。

アーナンダ(阿難 アナン)はいつもお釈迦様の身の回りの世話をしていました。

お釈迦様は日常、付き人のアーナンダ(阿難 アナン)に一つ一つ丁寧にその都度、物事や言葉の理解ができたかどうかの質問をし、アーナンダ(阿難 アナン)がその質問に丁寧に答えることが普段の会話で行われました。

お釈迦様は和の精神の大切さを強調し、老人を敬う事の大切さと、女性を連れ去ってはいけないことを強調します。

アーナンダ(阿難 アナン)は25年間親しくお釈迦様に付き添いお仕えし、暑い時などいつもお釈迦様が居心地よくなるように配慮し絶えず雑用をしました。

そのためアーナンダ(阿難 アナン)は誰よりも身近で一番よくお釈迦様の説法を聞くということになります。

アーナンダ(阿難 アナン)がお釈迦様から説かれた説法は非常にたくさんあり、数でいうと八万二千ということですから相当な数で気が遠くなるほどです。

②【アーナンダ (阿難陀 / 阿難 アナン) お釈迦様の弟子】お釈迦様への最期のお仕え

お釈迦様はお亡くなりになる3か月前、アーナンダ(阿難 アナン)に「自らに頼れ」「法に頼れ」また「自らを島とし」「法を島とし」という「自洲法洲(じすほっす)」「自灯明法灯明(じとうみょうほうとうみょう)」を説かれました。

お釈迦様はアーナンダ(阿難 アナン)に「自洲法洲(じすほっす)」を分かりやすく、自分を頼りとして他人を頼りとせず、法をよりどころとすることを説きました。

これは自帰依法帰依(じきえほうきえ)ともいわれます。

アーナンダ(阿難 アナン)は優しくて気が利き、お釈迦様はとても助かり、お釈迦様は死ぬまでアーナンダ(阿難 アナン)を気に入り続け、またアーナンダ(阿難 アナン)もお釈迦様から離れませんでした。

お釈迦様はパーヴァーというところで鍛冶工(かじこう)チュンダから出された食べ物を食べたあと体調を崩し激しい下痢に襲われます。

そしてその後お釈迦様は一行とクシナーラー(現在のクシナガラ)へようやく旅をし、疲れたお釈迦様はアーナンダ(阿難 アナン)に衣服を四つ折りにしたものを地面に敷かせ、アーナンダ(阿難 アナン)に用意させた水を飲みました。

そして最後の目的地となった黄金を産する河という意味のヒラニヤヴァティー河の流域にあるクシナーラーのマッラ族のウパヴァッタナに着きました。

お釈迦様は亡くなる間際アーナンダ(阿難 アナン)に自分の為に尽くしてくれたことへのお礼と感謝の気持ちを述べられています。

お釈迦様はアーナンダ(阿難 アナン)のことを、身と言葉と心との行いで仕えてくれた、という表現で讃えました。

そこで疲れたお釈迦様はアーナンダ(阿難 アナン)に、二本の沙羅の木の間に頭を北に向けての寝床を用意させ横になります。

お釈迦様の入滅が近づくと、アーナンダ(阿難 アナン)は悲しみ泣いていました。

そしてお釈迦様は弟子達に囲まれ、弟子達の見守る温かさに包まれて息をひきとりました。

③【アーナンダ (阿難陀 / 阿難 アナン) お釈迦様の弟子】多聞第一(たもんだいいち)

アーナンダ(阿難 アナン)はお釈迦様の入滅後、弟子が五百人集まるなか主になって働きました。

付き人としてお釈迦様の後ろに立ち長い間いつもお釈迦様の説法を間近で聞いていたので、誰よりもアーナンダ(阿難 アナン)が一番お釈迦様のお言葉を覚えていたのです。

お釈迦様は自分では書き遺したものが何もないので、弟子達の口伝が後世にお釈迦様の教えを伝える唯一の方法です。

そのためアーナンダ(阿難 アナン)の果たす役割は正確さが求められ大役でした。

アーナンダ(阿難 アナン)が覚えているお釈迦様の説法を他の弟子が記憶していきました。

この時の最初の集いを第一結集といい、経典をつくる時の結集で経典結集のことです。

アーナンダ(阿難 アナン)は意を決して第一結集に臨み、第一結集の日の朝、アーナンダ(阿難 アナン)は阿羅漢(あらかん)になっています。

阿羅漢(あらかん)とは仏教において悟りが最高の境地に入り、尊敬に値する者のことです。

仏陀と阿羅漢(あらかん)とは言葉の意味は同じですが、仏教では先に悟った仏陀がいて次に悟った者達が阿羅漢(あらかん)となります。

④【アーナンダ (阿難陀 / 阿難 アナン) お釈迦様の弟子】如是我聞(にょぜがもん)

アーナンダ(阿難 アナン)は他の弟子達にお釈迦様の教えを口伝するとき「如是我聞(にょぜがもん)」という言葉をつけてから話し始めています。

これは「私はこのように聞きました」という意味の前置きの言葉です。

「如是我聞(にょぜがもん)」と前置きすることでアーナンダ(阿難 アナン)はお釈迦様のお言葉ということを皆に示し、アーナンダ(阿難 アナン)がお釈迦様のお言葉をお釈迦様の説かれたそのままのお言葉として口伝していたことが分かります。

このときにまとめられた聖典がお経になりました。

⑤【アーナンダ (阿難陀 / 阿難 アナン) お釈迦様の弟子】まとめ

アーナンダ(阿難 アナン)はお釈迦様の入滅で25年間のお釈迦様の一番の付き人という大役は終わりましたが、お釈迦様の入滅後はお釈迦様の説法を皆や後世に伝えるための中心人物になり、その役目も立派に果たされました。

現在お釈迦様の説法が生きているのもアーナンダ(阿難 アナン)の記憶と口伝がしっかりしていたお陰で、アーナンダ(阿難 アナン)の功績のお陰です。

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