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天上天下唯我独尊 お釈迦様がお生まれになった時のこと

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お釈迦様

お釈迦様は今から約2500年前、母マーヤー夫人からお生まれになられた直後、天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)とおっしゃり七歩歩いたという伝説があります。

この世で私だけが立派という意味で、私(お釈迦様)だけを頼りにするようにという解釈になります。

これは人を頼りにしてはいけないという自洲法洲(じすほっす)に通じています。

①【天上天下唯我独尊 お釈迦様がお生まれになった時のこと】ルンビニーで無憂樹の満開の花の下でお生まれになりました

お釈迦様は今から約2500年前の紀元前6世紀から5世紀にかけての頃にお生まれになっており、八十歳で豚肉のお料理をお食べになったことによる食中毒でお亡くなりになりました。

お釈迦様のお誕生日は4月8日と伝えられています。

あくまでもお釈迦様を讃えるための伝説で実際のことではありませんが、お釈迦様はお生まれになられた直後に右手を上げ天を指し、左手を下げ地を指し「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」とおっしゃられ、その生まれたすぐの時に七歩歩いたと言われています。

「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」の意味は、この世で私(お釈迦様)だけが立派というもので、つまりは私(お釈迦様)だけを頼るようにという解釈になります。

インドでは六道輪廻(ろくどうりんね)の信仰が厚く、お釈迦様の前世も立派で力がみなぎっていて、その前世の残った溢れた力で生まれ変わったお釈迦様に「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と言わせ七歩歩かせたというものです。

六道輪廻とは人は六道での生まれ変わりが永遠に続くと思想です。

六道とは、天道・人間道・修羅道(しゅらどう/争いが絶えない世界)・畜生道・餓鬼道(がきどう/飢えと渇きに苦しみ続ける世界)・地獄道のことで、輪廻(りんね)とは命あるものが何度も生まれ変わることをいいます。

「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」はお釈迦様がお亡くなりになる前に説いた自洲法洲(じすほっす)の、自分と法だけを頼りにせよ、つまり自分とお釈迦様だけに頼ることという教えと同じことです。

お釈迦様の父親は、現在のネパール王国に属している地域にあたる、シャーキャ族(釈迦族)の小国カピラヴァストゥの王でシュッドナータといい、カピラ(迦毘羅 かぴら)城に住み、姓はゴータマ(喬答摩 ごうたま)といいました。

王シュッドナータは浄飯王(じょうぼんのう)という意味の名で、シャーキャ族の地は農耕が盛んだったことに由来しています。

お釈迦様の母親はマーヤー(摩耶)夫人という名で、同じシャーキャ族でありカピラ城から少し離れた所にある天臂城(てんぴじょう)の主である善覚長者(ぜんかくちょうじゃ)の娘でした。

お二人は結婚しとても仲が良かったのですが、なかなか子供ができません。

そんな時マーヤー(摩耶)夫人が子供を授かる前兆の夢を見たためシュッドナータ王が占い師に占ってもらったところ、やはり王子がお生まれになることの前兆だと言い、しかもその王子は王になったならば全世界を治めるか、または出家して仏陀になられることでしょう、と予言されました。

そしてその予言通りお釈迦様がマーヤー(摩耶)夫人の胎内に宿り、無事十か月過ぎてお釈迦様がお生まれになる日が近づきます。

お釈迦様の母親のマーヤー(摩耶)夫人は当時の出産する時のしきたりで、実家であるお城に行く時、夫のシュッドナータ国王や家来達に見送られて幸せでいっぱいでした。

そしてマーヤー(摩耶)夫人は一行とともに宮殿を出発したところ途中で急に産気づき、近くのルンビニー(藍毘尼 るんびに)の花園で仮の産み場が作られます。

ルンビニーは現在インド国境近くのネパール中南部にあります。

行列のお付きの人々はあわてますが、マーヤー(摩耶)夫人は落ち着いていました。

マーヤー(摩耶)夫人が満開の無憂樹(むうじゅ むゆうじゅ)の下にいる時、お釈迦様はお生まれになりました。

無憂樹(むうじゅ むゆうじゅ)という木の名は、マーヤー(摩耶)夫人がお釈迦様をお産みになった時、母子共に安らかだったことから憂い(悲しいことやつらいこと)の無い木という意味で無憂樹と名付けられたといわれています。

後に無憂樹は菩提樹(ぼだいじゅ)と沙羅(さら)とともに仏教における三大聖木(さんだいせいぼく)になっています。

無憂樹はインド原産で3月から6月にかけてオレンジ色がかった花を咲かせる木で、インドでは結婚や出産などに関する幸福の木とされています。

無憂樹はとても丈夫な木で、太い幹を刈り込んでも芽吹き枯れることが無いといいます。

お釈迦様は無事お生まれになりマーヤー(摩耶)夫人は実家のお城に帰ることなく、お釈迦様と一緒に王の待つ宮殿に帰られました。王はとてもとてもお喜びになりました。

お釈迦様はお生まれになってから出家するまでの29年間、カピラヴァストゥ国のお城のカピラ(迦毘羅 かぴら)城で育ちました。

②【天上天下唯我独尊 お釈迦様がお生まれになった時のこと】母マーヤー夫人はお釈迦様の生後7日目にお亡くなりになりました

お釈迦様がお生まれになってから五日目に命名式が行われ、お釈迦様のお名前はシッダールタ(悉達多)に決まり、ゴータマ・シッダールタ(喬答摩・悉達多/ごうたま・しっだるた)となり、父である王により名付けられたお名前です。

シャーキャ族は農耕と関わりが深いことからゴータマには「優れた牛」という意味があり、シッダールタには「成し遂げる」という意味があります。

しかし王はマーヤー(摩耶)夫人の体調が思わしくないことが気がかりでした。

まさかマーヤー(摩耶)夫人が亡くなることになるとは思っていなかった王でしたが、何という事かマーヤー(摩耶)夫人はお釈迦様をお産みになられたのち七日目にお亡くなりになられたのです。運命としかいいようがない出来事です。

マーヤー夫人(摩耶)はお釈迦様をお産みになった時は幸せそうで、無事お釈迦様と王の待つ宮殿に帰って来たのに信じられない出来事です。

マーヤー(摩耶)夫人は産後の日立ちが悪かったのです。当時は医学の進歩が今のようには無い時代なのです。

③【天上天下唯我独尊 お釈迦様がお生まれになった時のこと】お釈迦様は実母の妹に育てられました

お釈迦様の母マーヤー(摩耶)夫人がお亡くなりになられてからは、お釈迦様はマーヤー(摩耶)夫人の妹マハー・プラジャーパティー(摩訶波闍波提)に育てられました。

お釈迦様の父シュッドナータ王とマハー・プラジャーパティー(摩訶波闍波提)との間には、母違いのお釈迦様の弟のナンダ(難陀)が生まれています。

お釈迦様は七歳頃から文字を習っています。

お釈迦様は実母に育てられなかったこともあり、子供の頃から物思いにふけることが多かったといいます。

父シュッドナータ王はお釈迦様の育ての母親が産みの母親ではないことを気にしていました。

お釈迦様は大切に育てられ夏と冬また雨季に合わせた三つの宮殿が与えられ、着る物にもしのぎやすい気配りのきいた最高の衣類をいつもお召しになっていました。

お釈迦様は16歳(19歳ともいわれる)の時、父の強い願いと勧めで、いとこのヤショーダラー(耶輸陀羅 やしゅだら)と結婚し、ヤショーダラーはラーフラ(羅睺羅 らごら)という男児を産みました。

お釈迦様はラーフラ(羅睺羅 らごら)の誕生に際し、出家を妨げるための束縛が生じたと言われたといいます。

ラーフラ(羅睺羅 らごら)とは古代インド神話で悪魔の名前であり、何とラーフラ(羅睺羅 らごら)も後に仏陀の弟子のアーナンダ(阿難陀 仏陀のいとこ)やナンダ(難陀 仏陀の異母弟)達と同じように悟りを開いたお釈迦様に帰依(きえ/すがって信仰をいただく)して出家しています。

お釈迦様の息子ラーフラ(羅睺羅 らごら)にとって、父であるお釈迦様がまだ自分が生まれる前に出家のためにいなくなってしまい、父が不在となったからこそ父であるお釈迦様から受けた影響はとても大きかったのです。

ラーフラ(羅睺羅 らごら)という悪魔という意味は王家にとっては、お釈迦様だけでなくその息子まで出家していなくなってしまい、悪魔という名前の通りになってしまったのですね。

お釈迦様の出家後、王家のあととりには母親が異なる兄弟の弟のナンダ(難陀)がなりましたが、ナンダ(難陀)は自分の結婚式の日にお釈迦様と会いナンダ(難陀)まで出家してしまいました。

しかしナンダ(難陀)は美男美女同士で結婚したばかりの妻のことが忘れられずとても苦しみました。

その後はナンダ(難陀)はお釈迦様の十大弟子の一人になっています。

④【天上天下唯我独尊 お釈迦様がお生まれになった時のこと】まとめ

単純な発想ですがよくおとぎ話では貧しい子供時代を送っていて、ある日王子様やお姫様になって幸せになるという物話が一般的で、貧しさから抜け出しお城で暮らして幸せになったという物語が多いものです。

幸せとは何不自由ないお金持ちになることと思いがちです。

煌(きら)びやかな洋服を着ていい食事を食べていい家に住むことが幸せと思いがちです。

しかしお釈迦様の求める幸福はその中には無く、おとぎ話の幸せ話とは全く正反対の道を進むのです。

本当の幸せとは人それぞれ違うものです。

自分が自分のことを幸せと思えたらきっと幸せなのだと思います。

お釈迦様はそれを何と言うか聞いてみたいところです。

お釈迦様が生まれてすぐにおっしゃられたという伝説の言葉「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」の私だけが立派という意味からくる解釈の、私(お釈迦様)だけを頼りにするようにということを守ることで安心な日々を過ごせるのです。

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