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ラーフラ (羅睺羅 らごら) お釈迦様の息子

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お釈迦様の息子ラーフラ(羅睺羅 らごら)は幼い頃から父である出家されたお釈迦様とは離れて暮らしていましたが、ラーフラ(羅睺羅)が9歳の時仏陀となられているお釈迦様が故郷の宮殿を通った時ラーフラ(羅睺羅)は出家します。

ラーフラ(羅睺羅)の母ヤショーダラーがラーフラ(羅睺羅)にお釈迦様から遺産をもらってくるように言ったところ、母から言われた通りのことをお釈迦様に伝えたラーフラ(羅睺羅)をお釈迦様が出家させたのです。

①【ラーフラ (羅睺羅 らごら) お釈迦様の息子】ラーフラ(羅睺羅 らごら)という名前は悪魔を意味する

ラーフラ(羅睺羅 らごら)はお釈迦様の実の息子です。

お釈迦様は16歳(19歳ともいわれる)の時、父であるシャーキャ族(釈迦族)の国カピラヴァストウの国王シュッドナータの強い勧めでいとこのヤショーダラーと結婚します。

そして子供を授かるのですが、出家を望んでいたお釈迦様は子供が誕生すると出家の妨げになるための束縛が生じると言われたといいます。

お釈迦様は血を分けた子供がいると出家する時に後ろ髪を引かれると思ったのです。

お釈迦様は子供が生まれる前に出家されたか、または子供が生まれてすぐに出家されたかで子供と一緒に過ごしたことは無かったと言われています。

ラーフラ(羅睺羅 らごら)というお釈迦様の息子の名前が気になります。

ラーフラ(羅睺羅 らごら)とは古代インド神話に出てくる星を食べてしまう怖い悪魔のことをいいます。

お釈迦様にとっては我が子は可愛いので出家することの足を引っ張ることになると思い、ラーフラ(羅睺羅 らごら)という縁起の悪い名前を付けたのです。

お釈迦様はお釈迦様をお産みになった母親マーヤー夫人がお釈迦様の生後7日目でお亡くなりになり、実の母親の顔を知らず、産みの母の妹マハー・プラジャーパティーによって育てられました。

そしてラーフラ(羅睺羅 らごら)は出家する9歳まで実の父の顔を知らず、父はこの世にはいても出家しているため父親不在という中で育ちました。

生まれてすぐに母または父がいない境遇になるというのは、お釈迦様とラーフラ(羅睺羅 らごら)に同じような因縁を感じます。

②【ラーフラ (羅睺羅 らごら) お釈迦様の息子】父お釈迦様に帰依して出家した

お釈迦様は29歳の時に出家して6年間苦しい難行苦行として息を止めたり、水の中に沈んでしばらくいたり、極度の断食をしたりしているうちに体調が悪くなり難行苦行をやめやっとの思いで村へ辿り着きました。

そしてお釈迦様は、スジャータという村の娘が出してくれた乳粥(ちちがゆ)を食べ命を繋ぐことができました。

その後お釈迦様は菩提樹の木の下で座禅を組み瞑想にふけり、35歳で悟りを開き仏陀となったのです。

悟りを開いたお釈迦様が生まれ故郷を通った時、ラーフラ(羅睺羅 らごら)は仏陀となった父に会いまだ9歳という子供であるにもかかわらずラーフラ(羅睺羅 らごら)はそのまま出家します。

お釈迦様の姿を見たお釈迦様の妻のヤショーダラーがラーフラ(羅睺羅 らごら)にお釈迦様から遺産をもらえるようになるように頼んでくるように言ったところ、ラーフラ(羅睺羅 らごら)は母から言われた通りのことをお釈迦様に伝えます。

この時のことは母ヤショーダラーではなく、重臣(じゅうしん/重職にある臣)に入れ知恵されたとも言われています。

するとお釈迦様はラーフラ(羅睺羅 らごら)には修行が必要だとその場で判断し、ラーフラ(羅睺羅 らごら)を出家させることになったのです。

お釈迦様はラーフラ(羅睺羅 らごら)には何よりの財産として仏法を与えたいと思ったのです。

この時ラーフラ(羅睺羅 らごら)の祖父のシュッドナータ王はとても悲しみました。

シュッドナータ王にしてみたら、お釈迦様もお釈迦様と母親が異なる兄弟の弟のナンダ(難陀)もラーフラ(羅睺羅 らごら)も出家の道を選んだのですから、あまりにも悲し過ぎます。

シュッドナータ王にとっては二人の息子と孫まで出家してしまったのです。

そう思うと遺されたお釈迦様のお后やナンダのお后も気の毒です。

ラーフラ(羅睺羅 らごら)はお釈迦様に惹かれるものがあったということです。

ラーフラ(羅睺羅 らごら)は自分の中で思い描いていた父親像が、実際の仏陀の人間性やオーラの方が上回っていたのです。

インドでは苦しい境遇から逃れて自分を救うために出家するといいますが、ラーフラ(羅睺羅 らごら)の場合もお釈迦様が人間の生・老・病・死について深く考え思い悩んだ末の出家だったように、王家の生活に何か思うところがあったということは、ラーフラ(羅睺羅 らごら)が出家を嫌がらなかったということが示しています。

ラーフラ(羅睺羅 らごら)も出家となると王家を捨てるということになるので、子供なりの覚悟があったのです。

出家の道も厳しいものですから、お釈迦様の真似事のつもりで出家したのだとしたら長続きはしないところです。

お坊さんになってからのラーフラ(羅睺羅 らごら)はお釈迦様に帰依(きえ/すがって信仰をいただくこと)し、真面目に一途に修行に取り組みました。

ラーフラ(羅睺羅 らごら)は出家した後、寄宿舎で部屋を割り振る係の者が自分の部屋をお客さんのお坊さんに貸してしまったため、居場所に困ったラーフラは教団内のトイレで寝ていたことがありました。

そのとき雨が降ってきて、穴から出て来た黒毒ヘビがウヨウヨいる中にいたラーフラ(羅睺羅 らごら)の危機を、ラーフラ(羅睺羅 らごら)の危機を察したお釈迦様が助け出してくれています。

やはりお釈迦様はラーフラ(羅睺羅 らごら)が息子ということで、ラーフラ(羅睺羅 らごら)の危険の察知に対しての直感が働くのです。

またラーフラ(羅睺羅 らごら)が面白半分に嘘をつくと、お釈迦様は分かりやすく汚れた心の汚らわしさを説いて、ラーフラ(羅睺羅 らごら)をより一層の精進への道へ導かれています。

お釈迦様はラーフラ(羅睺羅 らごら)をいじけさせるのではなく、ラーフラ(羅睺羅 らごら)に理解できるように愛情を持って諭すのです。

そしてお釈迦様はラーフラ(羅睺羅 らごら)にどんなことがあっても怒りの心を持たず、慈悲の心を持つことを教えたのです。

③【ラーフラ (羅睺羅 らごら) お釈迦様の息子】阿羅漢(あらかん)になった

ラーフラ(羅睺羅 らごら)は一途に修行に取り組んだ結果、阿羅漢(あらかん)と呼ばれる仏教において悟りの最高の境地に入り尊敬を受けるに値する者になりました。

ラーフラ(羅睺羅 らごら)はお釈迦様を尊敬し信頼して、お釈迦様の教えについて行ったのです。

阿羅漢(あらかん)という言葉はサンスクリット語(古代インド語)の「アルハト」に由来しています。

阿羅漢(あらかん)という言葉は仏陀という言葉よりも以前にインドにあった言葉で、仏陀の意味と意味において違いはありませんが、仏教では先に悟った仏陀がいて次に悟った人達のことが阿羅漢と呼ばれています。

ラーフラ(羅睺羅 らごら)はお釈迦様の十大弟子の一人で、十六羅漢の一人でもあるのです。

ラーフラ(羅睺羅 らごら)の最も優れていることは「密行(みつぎょう)第一」という誰も見ていなくても戒律を守ることができるというところです。

これはとても尊いことです。

人から信頼される時の第一条件はこれに当たり、見る人が見ればうわべだけの人物か本物の人物か分かるのです。

⑤【ラーフラ (羅睺羅 らごら) お釈迦様の息子】まとめ

お釈迦様は29歳の時に出家したのに対し、ラーフラ(羅睺羅 らごら)は9歳という随分若い年齢で出家しました。

王家に生まれたからにはしっかり王のあとを継ぐか、または何か思う事があって自分の進む道は違うところにあると思い悩んだ時は出家するかのどちらかの選択になるのです。

ラーフラ(羅睺羅 らごら)が出家したのは仏陀が実の父親であるお釈迦様であるということが、とても大きく影響しています。

ラーフラ(羅睺羅 らごら)はいたずらっ子でやんちゃな面があり、悪ふざけで嘘をついて面白がったりしていましたが、お釈迦様の慈愛に満ちたお諭しに胸を打たれ改心し、修行をして上り詰めていったのです。

お釈迦様からラーフラ(羅睺羅 らごら)への説法は、お釈迦様からラーフラ(羅睺羅 らごら)への愛情の賜物です。

ラーフラ(羅睺羅 らごら)は荒行(あらぎょう/修行僧が困難を耐えてする修行)にも励みました。

ラーフラ(羅睺羅 らごら)の顔つきは怖いような顔つきです。

お釈迦様が80歳でお亡くなりになる時、お釈迦様はラーフラ(羅睺羅 らごら)に対しよくやったと褒めています。

ラーフラ(羅睺羅 らごら)はお釈迦様のもとで約40年間修業をし、お釈迦様と一緒に過ごしてきました。

お釈迦様は教えを文字でのこすということをしなかったため、お釈迦様の教えはラーフラ(羅睺羅 らごら)たち弟子の口伝と弟子達で作った経典で後世に伝わることになります。

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