「あまてらすおほみかみ」という十言神咒(とことのかじり)の祝詞は、とてもいい言葉の響きです。
ゆううつな時でも、やる気が無い時でも「あまてらすおほみかみ」と心の中で唱えると、気持ちがすっきりして前向きで心強く元気になります。
①【十言神咒(とことのかじり) あまてらすおほみかみ】強い祝詞
伊勢の神宮の内宮(ないくう)の皇大神宮(こうたいじんぐう)に祀られている天照大神は、太陽を司る最も尊い神様です。
「あ・ま・て・ら・す・お・ほ・み・か・み」という天照大神の祝詞(神に対して唱える言葉)には、強い言霊(言葉に宿る霊力)があり無限の力を人々に与えています。
この「あ・ま・て・ら・す・お・ほ・み・か・み」はひらがなで10語であり短い言葉であることから、十言神咒(とことのかじり)といいます。
咒は、しゅ・じゅと読み、まじない・のろう、という意味です。
これをとりあえずは10回唱えると良いとされ、20回唱えるとより太く唱えたということになり、より強い力が湧いてくるものとされています。
唱える時は声は出しても出さなくても、どちらでも構いません。
「あまてらすおほみかみ」と何となく唱えるのでは意識の中に無い感覚になり自分が唱えていたのかもあやふやになるので、自分は祝詞を唱えているという意識で唱えることが大切です。
神様というものは、その人の努力の成果に見合った運を授けてくれるものだといいますから、例えば仕事など目標とする物事に対して、神様に認めて貰えるような努力をすることが大切です。
神様を信じて努力すれば、神様は絶対に見ていてくれるのです。
そのため大切なことは神様に自分の努力を見守ってもらうことで、神様見ててください、という姿勢で物事にとりくみ頑張る姿勢を神様に見届けてもらうことです。
何も努力していない状態では神様も評価しようが無く、自発的に物事にのぞむことを神様は黙って見守っているのです。
沢山の努力をすれば、神様はそれに見合った運を授けてくれ、ますます努力するように仕向けてくれます。
またその逆もありで、いい加減な事をして何とかなるさとだらだらして過ごして居たり、また人を騙したりして正直とはかけ離れた行動をしたりすると、すぐに罰を与えるか、またはしばらく経ってから罰を当てるのです。
常に天照大神を意識して、天照大神に喜んでいただけるような努力の日々を送っていくのです。
天照大神が見て、よくやってるな偉いな立派だなと思っていただけるとしたら、きっと運に恵まれます。
私は以前自分に親切にしてくれた仲間に対して、お礼を言うべきところ自分が気分が悪かったので、逆に怒った態度で接したことがありました。
その時直感的に今の自分の行いはよくないから絶対に罰が当たると思っていたところ、その日の夕方道路の縁石につまづいて顔から真っ逆さまに道路に倒れたことがあります。
顔は痛さのあまりしびれ、しびれと痛みは強烈でした。
不幸中の幸いとしたら、私は顔から道路に倒れたのではありますが、その時車が走って来なくて車にひかれなかったことです。
その時顔を道路に打った瞬間はあまりの痛さに顔が潰れたかと思った程で、心配になりコンビニの鏡で自分の顔を見に行ったくらいでした。
その時は顔に変化はありませんでしたが、次の日の朝、顎にひどい青たん(内出血)ができていました。
まさに神は見ていたと思った出来事でした。
何年も経った今でもその時のことはよく覚えています。
次の日仕事でその親切にしてくれた人が私の顎の青たんを心配してくれるので、とても有難く昨日ひどい言い方をしてしまったことを謝ったところ、そんな謝る程のことじゃないとその人は言ってくれました。
そしてその人はその後も変わらず、私には仲良くいつも親切にしてくれました。
それ以後私は罰は絶対に当たるし、遅かれ早かれ自分のしたことは自分に返ると強く思うようになりました。
小さな出来事ではありますが、肝に銘じています。
しかしその時のその人は何ということか、その後何年かしてまだ若いのに病気で亡くなってしまいました。
私はびっくりして悲しくて言葉もありませんでした。
その人を思い出すと「神は見ていた」ということを教えてくれた尊い人なのだと、いつまでも私の心の中にその人は生きています。
天照大神は天の上から全てを見ているので「あまてらすおほみかみ」と唱えている様子も勿論見ているのです。
不思議なもので「あまてらすおほみかみ」と唱えると、天照大神をとても身近に感じ、すぐそこに天照大神にいていただいているような感覚を覚えます。
「あまてらすおほみかみ」と唱えると自分の中に天照大神が居るような不思議な感覚になるのです。
そして強い力が湧いてくるのです。
つまりは唱える回数が多い程、強い力はより一層強くなるということです。
何かしながらふと気が付くと、過去のいやな出来事を思い出してゆううつになっていたり、今現在のことをよくない方向に考えたりしてつまらない気持ちでいたりしますが「あまてらすおほみかみ」と唱えると一瞬にして邪気が取り除かれる体験をします。
そのような時、天照大神のお陰で救われたと思うことが、数えたらきりが無いほど沢山あります。
天照大神はとても有難く、いつもいつもそばにいて助けてくれるのです。
十という漢数字もそれより上の漢数字は無いということで、最高の漢数字でとても縁起がいいものです。
百とか千という字はありますが、一からの連続しての漢数字ではありません。
「あまてらすおほみかみ」というように7つ目の文字を「お」ではなく「ほ」と読むことで、間違えないようにと、その「ほ」に意識がいくので「あまてらすおほみかみ」をしっかり意識して言うことに繋がっています。
祝詞というものは目には見えませんが、その持っている力ははかりしれない程大きなものです。
②【十言神咒(とことのかじり) あまてらすおほみかみ】お札は「天照皇大神宮」
天照大神は伊勢の神宮の内宮(ないくう)である皇大神宮(こうたいじんぐう)を代表として祀られています。
伊勢の神宮は三重県伊勢市豊川町にあり、遠くて簡単には行くことができない人が圧倒的に多い場所ですが、大切なことは実際のkmでの距離ではなく、自分がどれほど天照大神を身近に感じ天照大神を意識して生きているかということです。
天照大神をより身近に感じる方法は、天照大神を信じてこれをやると決めた物事に対して前進することです。
天照大神を自分が遠い存在と思えば遠い存在になり、身近な自分の天照大神と思えばいつも自分と一緒に居る自分と一体となった神様となるのです。
天照大神は皇大神宮の中に八咫鏡(やたのかがみ)として祀られています。
自宅に置くお札には「天照皇大神宮」(あまてらす こうたいじんぐう)と書かれており、部屋に南向きまたは東向きに置き、二拝二拍手一礼をするとよいです。
最後の一礼は失礼しますという意味になります。
③【十言神咒(とことのかじり) あまてらすおほみかみ】まとめ
自分の心の中で十言神咒「あまてらすおほみかみ」と唱えることが当たり前になり「あまてらすおほみかみ」の祝詞が自分の一部になるくらいまで、体にしみこませていきたいと思います。
人は全身に37兆個の細胞があるわけですから、その37兆個の細胞の一つ一つに「あまてらすおほみかみ」の息吹を吹きかけたいくらいの気持ちです。
細胞は元気に毎日働いてくれていますが、血液の細胞も皮膚の細胞も毎日新しく作られては古いものは壊れていくので、常に新しく「あまてらすおほみかみ」を唱え、体にも心にも元気を届けたいと思っています。
楽しく「あまてらすおほみかみ」と唱え、いつも明るく元気でいることが何より大切です。