八岐大蛇(ヤマタノオロチ) 洪水の肥川と水田に例えられる

神様

八岐大蛇(ヤマタノオロチ)は単なる恐ろしい大蛇では無く、八岐大蛇が山の神の娘(クシナダヒメ)を食べることを、洪水の肥川(ひのかわ)と水田に例えるとつじつまが合いますが定説はありません。

神話の生き物は神様や神様の使いであることがよくあります。

①【八岐大蛇(ヤマタノオロチ) 洪水の肥川と水田に例えられる】八岐大蛇の姿

古事記による八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の姿の引用文です。

その目は赤カガチのようで、一つの胴体に八つの頭と八つの尾があります。またその体には日影蔓(ひかげかずら)と檜(ひのき)・杉が生え、その長さは谷を八つ、峯を八つ渡るほどで、その腹を見れば、どこもかしこもいつも血が垂れ爛(ただ)れています。

角川ソフィア文庫 新版 古事記 現代語訳付き 中村啓信

赤カガチとは今の酸漿(ほおずき)のことをいいます。想像すると八岐大蛇の目はギョロッとしていて大きく血走っているようですね。

日影蔓(ひかげかずら)はシダ植物で多年草で、その姿は巨大なコケに見え、日本の山野に古来からあります。

また次の引用文は日本書紀によります。

頭と尾がそれぞれ八つあり、眼は赤酸漿(あかほおずき)のようである。松や柏が背中に生え、八つの山・八つの谷の間に一ぱいに広がっていた。

講談社学術文庫 日本書紀(上) 全現代語訳 宇治谷 孟

やはり八岐大蛇の姿は目に特徴があるようです。立体的でボコッとした目なのですね。その目が八つの頭に一対ずつ付いているのですから、迫力が凄いのです。

須佐之男命(スサノオノミコト)は高天原(たかまがはら)で乱暴なことばかりしたため、天照大神(アマテラスオオミカミ)の怒りが大きく高天原を追い払われます。

そして地上でスサノオノミコトが降り立った所は出雲国(島根県)の肥の川(ひのかわ)上流の鳥髪(とりかみ)という所です。

川に箸(はし)が上流から流れてきたため、上流に人がいるのだとスサノオノミコトは思います。

そのためスサノオノミコトは上流に上って行ったところ老夫婦神とその娘に出会いますが、泣いているため理由を聞くと、八人いた娘は毎年やって来る八岐大蛇に食べられ、最後に残ったこの娘も食べられるのではないかと恐れているというのです。

そして今は八岐大蛇が来る頃だということなのです。

スサノオノミコトは老夫婦神の娘の櫛名田比売(クシナダヒメ)と結婚させて欲しいことを言い、自分は天照大神の弟という説明をすると、老夫婦神は恐れ多いと言いスサノオノミコトにクシナダヒメをくれると言いました。

スサノオノミコトはクシナダヒメを櫛の姿に変えて自分の頭にさします。

こうすることによって八岐大蛇の目にクシナダヒメが映ることはありません。

クシナダヒメを櫛の姿にしてスサノオノミコトが自分の頭にさすことで、クシナダヒメを守れるのです。

そしてスサノオノミコトは老夫婦神に酒が大好きな八岐大蛇が飲むための濃い酒をつくらせ、濃い酒の入った幾つもの酒樽を置くと濃い酒の匂いにつられて八岐大蛇がやって来ました。

すると八岐大蛇は樽に頭を突っ込んで酒を飲み干し、酔いが回るとくたっとなって眠りに入りました

その時にスサノオノミコトは八岐大蛇をズタズタに切り退治します。

スサノオノミコトが八岐大蛇の尾を切った時に自分の刀が欠けたので違和感を感じ、尾を確認したところ尾から立派な剣が出てきました。

スサノオノミコトはその立派な剣を天照大神(アマテラスオオミカミ)に献上し、それが天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)/(草薙剣 くさなぎのつるぎ)となりました。

刀と剣は違い、片刃のものが刀で、両刃のものが剣です。刀は切るために使い、剣は刺したり突いたりするために使うといいます。怖いですね~。

スサノオノミコトはクシナダヒメと結婚し、出雲国の須賀に須賀宮(すがみや)という宮殿を建てクシナダヒメと暮らしました。

そこは現在は須賀の「賀」の文字が「我」に代わり須我神社となりました。

スサノオノミコトとクシナダヒメは子宝にも恵まれました。

スサノオノミコトの名前の表記は古事記では「須佐之男命」とされ、日本書紀では「素戔嗚尊」とされています。

またクシナダヒメの名前の表記は古事記では「櫛名田比売(クシナダヒメ)」とされ、日本書紀では「奇稲田姫(クシイナダヒメ)」とされています。

②【八岐大蛇(ヤマタノオロチ) 洪水の肥川と水田に例えられる】正体は肥川(ひのかわ)とも考えられる

神話に出てくる登場人物や動物、また生き物ではない物体でさえも神様と同じ存在のことが多く、全てに深い意味があるように思えます。

一体八岐大蛇は何のために、また何を人々に思ってもらいたくて現れたのでしょうか。

気になるところは天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)が尾から出てきたということです。

「天叢雲剣」という名の由来については、大蛇のいるところに常に雲があったためこの名前が付いたといわれています。

「叢(くさむら・そう)」は草むらという意味の他に、物がひとところに集まる、群がり集まるという意味があり、空で雲がひとところに集まるという意味だと考えられています。

そして八岐大蛇は恐ろしい姿をして見せた肥川(ひのかわ)の神様なのでしょうか。

そうだとするとクシイナダヒメの姉達七人を呑み込んでいるのでとても神様とは思えないところですが、逆に毎年決まった時期に7年も続けてやって来ているとは洪水っぽいとも思えます。

また単純に解釈すると、神様が八岐大蛇を退治した者にその功労を称えるための意味で尾に天叢雲剣を入れておいたとも思えてしまいます。

天叢雲剣が八岐大蛇を退治した者に、あなたはこの剣を持つのにふさわしい人ですよ、またはあなたはこの剣のように立派な人ですよと言っているような気もします。

八岐大蛇を退治している時のスサノオノミコトは高天原で暴れて乱暴なことばかりした頃のスサノオノミコトとは違い、老夫婦神とその娘のために八岐大蛇に勇敢に立ち向かって退治した英雄です。

八岐大蛇は不気味ですが畏れ多い大蛇です。

「肥川(ひのかわ)」は古事記での表記で、日本書紀では「簸の川(ひのかわ)」と書きます。肥川(ひのかわ)は出雲国(島根県)で一番長い川(川の長さは153km)で一級河川であり現在は斐伊川(ひいかわ)といいます。

一級河川は産業を発展させる上で特に重要な河川で国が管理している河川です。

二級河川は都道府県が管理している河川になります。

また一級河川は国土交通大臣が特に重要と定めた一級水系の河川で、斐伊川の流域自治体は島根県と鳥取県で流域面積も広い河川です。

クシナダヒメは水田の女神です。

八岐大蛇は水田の女神であるクシナダヒメを食べようとしていたのです。

水は稲作の命で蛇を水神として祀っています。

古事記によると八岐大蛇は毎年高志(こし)から来て、足名椎(あしなづち)と手名椎(てなづち)という名の山の神の娘を食べていたというのです。

高志(こし)とは当時は高志国(こしのくに)と書かれ、8世紀以降は越国(こしのくに)と書かれ北陸地方の呼び名で今の北陸道の福井県から新潟県に至る地方です。

八岐大蛇の本当の姿は古くから水害をもたらして恐れられていた肥川(ひのかわ)の例えと考えると辻褄(つじつま)が合いしっくりします。

肥川(ひのかわ)の洪水に呑まれるところだった水田(クシナダヒメは水田の女神)を、八岐大蛇に食べられるところだったクシナダヒメに置き換えると神話の辻褄(つじつま)が合います。

洪水ということから考えて季節は夏前後(6~7月は梅雨、8~9月は台風)と思われます。

鳥髪(とりかみ)は肥川(ひのかわ)の上流で、肥川は支流が多くまた天井川(てんじょうがわ)で氾濫すると下流の水田は被害を受け、肥川はオロチとも呼ばれ畏れられていました。

天井川(てんじょうがわ)とは川底が周囲の地形よりも高くなってしまった川のことで、上流から流れてくる土砂が川底に積もることと堤防の上積みが繰り返されることによって天井川になり、ひどい場合は川底が地上数メートルになることもある川のことです。

またスサノオノミコトが八岐大蛇を退治した時八岐大蛇から出た血が肥川に流れ出て肥川が赤くなったのですが、出雲はたたら製鉄の産地でその砂鉄で肥川が赤くなったとすると八岐大蛇と肥川を一致させて考えることはできます。

たたら製鉄とは日本で古代から近世にかけて発展した製鉄法で、炉に空気を送り込むときに使われる吹子(ふいこ/空気を送る道具)がたたらと呼ばれたために付けられた名前です。

近世とは安土桃山・江戸時代をさし明治維新による東京遷都1869年までをいいます。

神話ではよく山の神や海の神が荒ぶったり怒ったりして悪天候で被害をもたらしたりしますが、それと同じように川にも神がいて肥川(ひのかわ)の神が、川が氾濫を起こす時の恐ろしい姿で神話の中で八岐大蛇として現れたということになります。

八岐大蛇には何かがあるというのが最初八岐大蛇を知った時の直感で、八岐大蛇には何か深い意味があり単なる怪物では無いと思っていました。

③【八岐大蛇(ヤマタノオロチ) 洪水の肥川と水田に例えられる】定説は無い

八岐大蛇はきっと肥川(ひのかわ)に違いないと思っても結局のところ定説は無いので、はっきりしない部分です。

八岐大蛇は越国(こしのくに)から来ると古事記で書かれています。

しかし八岐大蛇が越国で被害をもたらしたり、また人々を困らせたりしたということを聞いたことはありません。

八岐大蛇は大蛇ですが一見龍のようにも見え、どことなく愛着が湧きます。

④【八岐大蛇(ヤマタノオロチ) 洪水の肥川と水田に例えられる】まとめ

八岐大蛇の尾から出てきた立派な剣はスサノオノミコトがこれは献上に値するものだと判断し、高天原(たかまがはら)にいる姉の天照大神(アマテラスオオミカミ)に献上します。

天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)といわれたその剣は倭建命(ヤマトタケルノミコト)が父である景行(けいこう)天皇に命じられて東方12国の平定に行く時に、叔母の倭姫(ヤマトヒメ)に小袋(中身は火打石/ひうちいし)と一緒に持たされます。

そして今の静岡県焼津の地で倭建命が野原の中にいるとき豪族に周りの野原に火を付けられた時、天叢雲剣が周りの草を薙ぎ切って倭建命が火打石でその草に火を付けると、向かい火となって豪族達に火が向かっていき倭建命が豪族を征伐しました。

征伐とは反乱を起こした勢力を鎮圧したり、反社会的な賊などを武力で処罰することです。

その時から天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)は草薙剣(くさなぎのつるぎ)と呼ばれるようになります。

倭建命(ヤマトタケルノミコト)が東方平定の後、伊吹山(滋賀県米原市/よねばらし)の山の神の祟りに力尽きて伊勢国(三重県)能褒野(のぼの)の地でお亡くなりになった後、草薙剣は倭建命の妻の宮津姫(みやずひめ)が熱田(あつた)神宮(愛知県名古屋市)に奉納しました

それ以降今日まで熱田神宮に三種の神器の一つとして鎮座しています。

三種の神器は天皇の皇位継承と共に継承されていきます。

八岐大蛇の神話は日本の国の宝でありとても価値があります。

草薙剣(くさなぎのつるぎ)が日本の国の象徴である天皇家でずっと受け継がれていくと共に、八岐大蛇の神話もずっと受け継がれていくのです。

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