神仏習合は終わっても思想は神様仏様です

神様

神道には神様の良さがあり仏教には仏様の良さがあります。

神様仏様が対極しているもののように考えると双方が持ちつ持たれつで、お互いがより安定して満たされると思います。

どちらも大切で対極と考えると神様仏様は安定しています。

①【神仏習合は終わっても思想は神様仏様です】神仏習合の始まり 

神道は縄文時代からある日本固有でもので、仏教は6世紀前半欽明(きんめい)天皇と聖徳太子の時代の飛鳥時代に百済(くだら/朝鮮半島にあった国)から伝来したものです。

神道は特定の教祖や教えを持たない八百万(やおよろず/極めて数が多いこと)の神を信仰する多神教です。

そして仏教はインドで紀元前4世紀から6世紀の間に釈迦(仏陀/ガウタマ・シッタールタ)の教えで生まれ修業をし悟りを開くことを目的にした宗教で世界三大宗教(仏教・キリスト教・イスラム教)の一つです。

神仏習合とは神と仏は一体であるという思想で、仏様は日本の神様が神格化したものという考え方になりました。

神道は万物に神が宿るとする考え方で、仏教はお寺にある像などを信仰の対象としている点で違いがあります。

また神道では死は穢(けが)れであり神社にはお墓は建てられず、人は亡くなったらその家の守り神になるとされますが、仏教では寺院にお墓を建て、死後は生まれ変わるので死は穢(けが)れではないとされています。

そこで奈良時代に本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)という考え方が広まりました。

それは八百万(やおよろず)の神達は人々を救うために仏様や菩薩の姿として現れた、という考え方です。

つまり神様が仏様ということになります。

奈良時代の720年に南九州に住む隼人(はやと/古代日本の九州南部現在の鹿児島県本土地域に居住した人々)が大和朝廷に対して反乱を起こし、朝廷がその内乱を鎮圧した後に凶作となり人々に病気が流行し殺生(せっしょう/生き物を殺すこと)の祟(たた)りだと恐れられました。

そのため八幡大神(はちまんおおかみ)である15代応神(おうじん)天皇(201年~没年不詳)を主祭神とする八幡宮が仏教に救いを求め神仏習合が始まったのです。

八幡大神は奈良時代(710年~784年)末期には菩薩号となり、神仏習合の形態はますます強くなっていきます。

神仏習合では僧侶が主な職務を務め、神職についている者は僧侶に従いました。

菩薩とは仏様の次の位で、仏道を成就させようと悟りを求め民衆を救う者のことをいいます。

サンスクリット語(古代インド・アーリア語に属する言語でヒンズー教の礼拝用言語)のボーディ・サットヴァの音写の「菩提薩埵(ぼだいさった)」の略語で悟りを求める人の意味であり、薩埵(さった)とは求める人という意味です。

八幡大菩薩は平安時代(794年~1185年)中期には伊勢神宮に次ぐ天皇家に由来の深い位置付けとされました。

その八幡大神が初めて祀られた神社は725年(奈良時代)に創建された宇佐(うさ)神宮(大分県宇佐市)で、宇佐神宮は神仏習合発祥の地の一つとされています。

宇佐神宮は全国に四万数千社ある八幡宮の総本社です。

八幡宮の御祭神は応神(おうじん)天皇・神功(じんぐう)皇后(応神天皇の母)・比売神(ひめがみ)の三柱(はしらとは神様を数えるときの単位)です。

比売神(ひめがみ)は神道の女神であり、神社の御祭神を示すときに並んで書かれる女神で、特定の神の名前ではなく主祭神と関係の深い妻や娘などの女神のことです。

奈良時代(710年~784年)に神社に付属して神宮寺(じんぐうじ/多くは天台宗または真言宗)が建てられました。

神仏習合は平安時代の初期の神仏調和を経て、神仏習合として平安時代の10世紀初期から1868年(明治1年)までの間の約1000年間続きます。

神宮寺(じんぐうじ)の多くは神社の境内に建てられ全国の大社の殆どに神宮寺がありました。

859年に創建された石清水(いわしみず)八幡宮(京都府八幡市/やわたし)は神社・寺院であり、神社と寺院が深く結びついていました。

神仏習合の形態が強まっていく中で石清水(いわしみず)八幡宮が創建されると、八幡大神の信仰はますます強まりました。

明治時代に入り神宮寺が廃止されるまでは寺院の建物や塔や仏像などが多々あり、現在よりずっと煌(きら)びやかでした。

また平安時代の菅原道真(すがわらのみちざね/845年~903年/学問の神様)の御霊を祀った天満宮も仏法神です。

菅原道真は35歳で文章博士(もんじょうはかせ)になり54歳で右大臣になり大出世したことを左大臣の藤原時平(ふじわらのときひら)らに妬(ねた)まれ陰謀にはめられます。

そして醍醐天皇により九州の太宰府(福岡県太宰府市)に大宰権帥(だざいのごんのそち)として左遷(させん/低い身分になること)させられ、九州での劣悪な状況の中で左遷(させん)からわずか二年でこの世を去りました。

菅原道真の死後30年間にわたり菅原道真を左遷(させん)させることに関わった朝廷の関係者に不吉な死が相次ぎます。

そのため菅原道真の祟りだと恐れた醍醐天皇の勅で919年に朝廷により太宰府天満宮(福岡県太宰府市)が建てられました。

また947年に朝廷の命で多治比文子(たじひのあやこ/菅原道真を育てたといわれる)らにより北野天満宮(京都市上京区/かみぎょうく)が建てられました。

菅原道真の死後の名前である天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)の大自在天(だいじざいてん)はヒンズー教におけるシヴァ(三主神/ブラフマー・ヴィシュヌ・シヴァ/の一神)の仏教でのお姿のことです。

大自在天(だいじざいてん)は仏教に入り仏法守護神となり、像は一般に三目八臂(さんもくはっぴ/臂は肘という意味)でお顔が一つ・目が三つ・手が八本のお姿で天冠を付け三叉(さんざ)の戟(げき/矛 ほこのこと)を手に持ち白牛に乗っています。

神仏習合とは、神様は普段は目に見えない存在ですが、仏の姿となって現れ民衆を救うという信仰で「権現(ごんげん)」はその仮の姿で現れることをいいます。

また「権現」とは仏菩薩が神の姿で民衆を救うために現れた姿ともいいかえられます。

お寺と神社とではお寺の方が地位が高く、江戸時代には寺請制度で民衆は必ずどこかのお寺の檀家になるという決まりになりました。

これは民衆にキリシタン(カトリック教の信徒)ではないという証明を寺請証文(てらうけしょうもん/自分がその寺の檀徒であることを証明してもらった文書)として受けることを義務付けたものでした。

②【神仏習合は終わっても思想は神様仏様です】神仏習合は明治時代に入り廃止になる

明治時代(1868年~1912年)に入るとすぐに1868年、明治政府は仏教が伝来する前の神道中心国家をめざすため、神社と寺社を明確に分ける「神仏分離令」を発しました。

それは王政復古と祭政一致ををめざしたもので、平田篤胤(ひらたあつたね)らにより復古神道がかかげられたのです。

そのため神宮寺(じんぐうじ)は明治時代に入り廃止されています。

またそれにより国民は天皇崇拝と神社信仰を義務付けられます。

その「神仏分離令」により神社から仏像・仏具を、寺院から神社関係の物品を除去し、神社に所属している僧侶は俗人(一般の人)に戻ることになりました。

寺院と神社は強引に引き離され、住職が神主に職替えしたこともあったといいます。

神社の歴史も偽りのものになり権現(ごんげん)という名称が取り消され、神社の社名が変更することになりました。

御祭神も日本神話に基づく御祭神に変えられました。

明治時代から昭和の時代にかけて、天皇主権の国家にするために神社が利用されることになったのです。

仏教を排除し神社神道と皇室神道が結び付けられ国家神道という形になり、戦争で天皇のために死ぬことが美化され多くの人が戦場に送られることになったのです。

悲しく悲惨な歴史です。

大日本帝国憲法(日本で初めての憲法)が1889年に公布されてからの56年間、大日本帝国憲法下の日本は天皇が国を統治する主権者とされました。

1945年(昭和20年)第二次世界大戦の敗戦後は、1946年(昭和21年)に日本国憲法が公布・1947年(昭和22年)5月3日(憲法記念日)に施工され、国民主権・基本的人権の尊重・平和主義が基本原理となり象徴天皇制になりました。

日本国憲法は国の決まりの中で最も大切な決まりです。

日本国憲法第20条は信教の自由で、内心における宗教上の信仰の自由・特定の宗教を信じる自由・信仰を変える自由・宗教を信じない自由、の条文が記され政教分離の法則が決められています。

③【神仏習合は終わっても思想は神様仏様です】まとめ

現存する神仏習合の神社として、日光東照宮(栃木県日光市)、浅草寺(せんそうじ)・浅草(あさくさ)神社(東京都台東区)、宝山寺(ほうざんじ/奈良県生駒市/いこまし)、談山(たんざん)神社(奈良県桜井市)などがあります。

神仏習合とは神と仏を調和させ同一視する思想とされ神道と仏教を同化したもので、考え方としてはとても良く吸い込まれていきそうです。

習合とはさまざまな宗教の神々や教義などが合体したり融合したりすることです。

天照大神様は争いを起こしたり悪いことをするために日の光を与えているのではなく、人々や万物がより良く生きるためにこの世に日の光を与えているのです。

そのため神道と仏教が双方を非難したりするのではなく和合するというのはとてもいいことで素晴らしいことだと思います。

私は日の光イコール天照大神様と強く思っているので仏教はさておいていましたが、神様の事柄には仏教のことを理解していないと分からなくなりつまずいてしまう事柄が多々あります。

そのため仏教も自分にとってとても大切なものと思うようになったのです。

今は神社と寺院は建物は別々の境内にあっても、思想としては神仏習合の時代のように神様と仏様を和合させるという事にとても惹き付けられます。

まさに神様仏様で神仏習合です。

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